オマル・シャリーフこそモテる男のロールモデルだ。モテたきゃ真似ろ!

オマル・シャリーフ

4月10日はオマル・シャリーフさんの誕生日

オマル・シャリーフさんはエジプトを代表する名俳優で本物の世界的なスターでもあります。

残念ながらすでにお亡くなりになってしまっていますが、なぜ彼が世界的スターなのかを解き明かしたいと思います。

オマル・シャリーフのプロフィール

俳優名 オマル・シャリーフ
生年月日 1932年4月10日
2015年7月10日
本名 ミシェル・ディミトリー・シャルフーブ
国籍 アラブ人
出身地 エジプト
代表作 アラビアロレンズ/ドクトル・ジバゴ/名探偵ベンジー/イブラヒムおじさんとコーランの花たち
元妻 ファーティン・ハママ

オマル・シャリーフさんは裕福な家庭に生まれ、少年時代はアラブ圏や東欧の王族の子弟も通ったアレクサンドリアのヴィクトリア・カレッジで勉学に励みました。

カイロ大学では数学を専攻し、卒業後はイギリスへ留学、ロンドンの王立演劇アカデミーで本格的に演技を学びました。

デビューは1955年にエジプト映画『砂漠の悪魔』。この映画でアラブ映画界の人気を確実に手中に収め一躍スターへの階段を上るのです。

デビュー作でスターへの階段を登れるのですから凄い魅力と才能があったんでしょうね。

1962年に『アラビアのロレンス』のベドウィン族長アリを演じ、ハリウッドデビュー。アカデミー助演男優賞候補にもなり一躍知名度を上げ国際俳優になりました。

アラビア語以外にも、英語とフランス語、ギリシャ語を話すことが出来、著書も出すなど多彩な才能の持ち主でした。

しかし、2015年7月10日に心臓発作の為カイロにて死去。

享年83歳でした。

2018年4月10日、オマル・シャリーフが、Googleのロゴになるほどの世界的なスターでした。

オマル・シャリーフ出世作『アラビアのロレンス』のあらすじと口コミ・評判

実在のイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた歴史映画であり、戦争映画です。

日本での公開は1963年12月。

上映時間は207分。

主人公の交通事故死で幕が開く衝撃的な冒頭から、彼が失意の内にアラビアを離れる余りに悲痛な終局までを、雄大に描いています。

その中でも、ロレンスがマッチの火を吹き消した後に砂漠に大きな太陽が昇る場面や、地平線の彼方の蜃気楼が次第に黒い人影となるまでの3分間、敵の要塞を陥落したロレンスが、ラクダに乗って夕日が照らす海岸を悠々と歩く場面、そして延々と続く広大な白い砂漠と地平線を背景にロレンスが跨ったラクダが駆ける場面等が名シーンとされています。

この映画の素晴らしいところは、ところどころにその後を暗示するような細かい仕掛けがあり、それを知ってもう一度見るのと見ないのとでは大きな違い田出るので制作者側のこだわりが非常によく分かる素晴らしい映画です。

ぜひご興味がある方は一度、オマル・シャリーフさんの代表作『アラビアのロレンス』を見て見てください。

オマル・シャリーフさんがモテた理由とは

エジプトで超人気俳優として女性に大人気だったオマル・シャリーフさん

その理由は何なのでしょうか?モテたい男としては知りたいところですよね。

オマル・シャリーフさんがモテた理由①

何といっても頭が良かった。

勉強ができるという意味ではないですよ。賢かった。

賢い男に女性は魅力を感じます。バカはバカなりにかわいいとこともありますが、計算しないとただのバカ。

しかし、賢い男は自然でいるだけでにじみ出る雰囲気が・・・。持っているものが違うとしか言いようがない。

オマル・シャリーフさんがモテた理由②

危なさと隣り合わせ。

え!って思うでしょ。

実はオマル・シャリーフさんは大のギャンブル好き。

世界選手権に出るほどのコントラクトブリッジの腕前でもあり、本も書いていてさらに、ギャンブルが好きなだけではなくめっぽう強い。

もう完全に映画の世界そのままの人。

馬主でもあり、「凱旋門賞」当日のロンシャン競馬場や、夏競馬開催時のドーヴィル競馬場の常連セレブリティでした。

これはモテるよね。

オマル・シャリーフさんがモテた理由をまとめた

頭が良くて、切れ者で、危なくて、スター。

モテない要素がないオマル・シャリーフさん。

でも、普通の男性がこれを目指したらダメ!!

オマル・シャリーフさんだから出来ることです。

世の男性諸君!まずは自分に何が財産としてあるのか?探ることから始めよう。